宗教とインドネシア。そして私。

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インドネシアに来たばかりのころに出会い、何度かのデートを重ねたムスリムの男性に「君の宗教はなに?」と聞かれて、「わたし、宗教はないの。」と答えたら「嘘だろ??」と困ったような顔をされた。

「神教か仏教だよね?普通の日本人は・・・」と、大きな目で問いかけられる。「そういう人もいるけど、私は特別信じている神様はいないの。あと、そういう人も結構多いのよ。日本は。」

「へぇ。そうなんだ・・・」

そうつぶやいた彼は、サンタクロースはいないと知ったときの子どものような悲しい表情になっていって、私も何だか一緒に悲しくなった。

そして結局、翌日から連絡がとれなくなった。

彼は、お酒も飲むし豚も食べる、"ムスリム”だったのに。

宗教がないことは、宗教のおしえを守らないことよりいけないことなのかもしれない、と思った。

***

インドネシアには「パンチャシラ」という国が定める5つの原則があって、その1原則目に「唯一神への信仰」があげられている。

後から調べてわかったことなのだけれど、インドネシア国内で無神論は容認されていなくて、公言すると逮捕されることもあるらしい。

どうやら私は、逮捕されてもおかしくないようなことを笑顔で言ってしまったようだ。

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彼にふられた(?)後も、一年と少しのインドネシアの生活の中で、何回、何十回と「あなたの宗教はなに?」と聞かれる機会に出会った。

仕事相手に、タクシードライバーに、近所のおばさんに─。

日本人である私に対しての興味なのか、挨拶のように思っているのか、あまりにもカジュアルに問われる。

そのたびに、「私は神道です」と答えることに決めた。

それにインドネシアでは、ありとあらゆる申し込み書にも宗教を記載する欄がある。そしてそこにも「Shintou」と書くようにしている。

思い返してみれば実家には神社のお札が飾られていたし、神棚のお供えも母がよく取り替えていた。

だから、きっと私は神道なのだと思う。

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これだけ宗教と生活が密接に絡み合っている国に住んでいると、信仰がない自分は、確固たる自分が確立できていないような、フワフワした人間にさえ思えてくる。

自己アイデンティティの揺らぎは、異文化接触の中で生まれるという指摘はよく行われることだけれど、今の私はまさにその過程にあるんじゃないかしら。

こちらに来て2回目の夏。

27年も人生を過ごしてきて、まだ新しい自分に出会うことがあるのだから、生きるということは途方もないことだな、と思ったりします。

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