同じもの探し

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日曜日のバンドンの道は、移動する車で溢れている。どこから続いているのかわからないくらいの渋滞で、いつもはスイスイ走るアンコットも、歩いた方が早いのではないかと思うほど、ノソノソとしか進まない。きっとこれからもっと車を乗る人は増える。この先、この国の交通状況はどうなってしまうのだろう。

それを一緒に見ていた友達に「すごいねぇ・・・」というと、「どうしたら良いと思う?」と笑いながら言われる。
「うーん。どこでも止められるようなアンコットの使い方が変わったり、公共の交通機関の利用が多くなったり、道が広くなったりしないとだよね?」

「うーん。そうだねぇ。それはあるよね。これからどうなるんだろうねぇー」他人事みたいな顔でまた笑う。

その国の外の人間が大きな問題に感じても、中で住んでいる人からしたら日常的なもので、どうしようもないと半ば諦めていることは多いのかもしれない。

日本だって、これからどんどん若者が減ってお年寄りばかりなる自国の現状を、真剣に考える者がどれだけいるんだろう。

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私たちは自分の国の外に出たときに、どうしても自国との違いに目がいってしまうのかもしれないけれど、どこの国でも変わらないものの方が、違うものよりも圧倒的に多いんじゃないか、と思ったりもする。

おばあちゃんは遊びに来た孫に食べきれないほどの食べものを食べさせようとする、とか、昔から続く何にでも効くと言われてる薬があることとか、話しを聞いていると、一緒だなぁ、人間だなぁと思うことも結構ある。

バンドンに来てから、「インドネシアに来てカルチャーショックはある?」とインドネシア人から何度も聞かれた。けれど、文化の違いを見ることはあっても、それをショックに思ったことは一度もないから「いや、全然ない」と答える。そうすると、みんなちょっぴり残念そうな、「本当に?」みたいな顔になる。

きっと、トイレのことだったり、食べ物のことだったり、人々の階層のことだったり、宗教のことだったり、インフラのことだったり、そんな違いの数々をあげたらキリがない。

でも、国が違うのだから色々なものが違うのは当たり前だ。そういうものだと思っているから、驚くこともないし、「ふぅん、そうなのね・・・」という具合に納得してしまうのだけれど、インドネシアの人からしたら、もっと驚いてほしいのかな、と思ったりもするから「カルチャーショックの質問」は反応に困る。

大学で私にインドネシア語を教えてくれている先生は「日本では女性はよく外に出て働きますね。でも私は、女性が家にいて家族の生活や家のことを守ることは大事なことだと思います」というようなことを言っていた。(たぶん)

日本でも家の中にいる女性はいるし、インドネシアでも外ではたらく女性も決して少なくないような気がするのだけれど、「そうかもしれないですね」と笑った。

「日本では」「インドネシアでは」という問いかけは、きっと何年住んでも続くような気がする。同じことを探すよりも、違うことを探すことを選んでしまうのは、やっぱり人は知らず知らずのうちにナショナルなものの上に成り立っていて、自国への帰属意識をもっているんだろう。

たぶん、平和主義的な人たちがよく言うような「お互い分かりあうこと」は実際は少し難しくて、「違いを認めること」もきっと難しくて、お互いに理解はできないけれど、何となく折り合いをつけながら、ちょっとばかりの同じところを見つけたりして、離れたり寄り添ったりしながら生きていくことが平和に暮らしていくための現実的な道筋なんじゃないかと思ったりする。

けれどそれは、国が違う者どうしの話に限ったことではないはずだ。人と人との関係は、誰だっていつだって、そのようなものなんじゃないかしら。

 

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梅野 なぎさ

梅野 なぎさ

’91生まれの25歳。だいたいの方がそうであるような気がしますが、旅と音楽と食べ物が好きです。【Mail】bonin.makani@gmail.com