コンテンツ飽和時代のテキストメディアの役割

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先日、わたしは朝起きてから夜寝るまでの間にどれだけメディアに接しているのか、ということを改めて考えてみました。

 

・Twitter
・Abema TV
・Instagram
・個人ブログ5つくらい
・Webサイト5つくらい
・note5つくらい
・Youtube
・日系新聞電子版
・News Picks
・Netflix
・カメリオ
・本1冊

 

ざっと上げただけでも、これだけのコンテンツに1日の中で触れています。

 

睡眠時間が8時間なので、1日の稼働時間は16時間程度。

 

当然、限られた時間のなかでは何を見て何を見ないかという取捨選択が行われます。

 

コンテンツがあふれる時代にどういうことがおこるかというと、メディアにとっては可処分時間の奪い合いになるわけです。

 

 

先日このようなツイートをしました。

 

Webメディアについてはモバイルから見る人が増えているので、モバイル画面に合わせた記事づくりにシフトするなどの工夫が行われていますが、それ以前に「記事をクリックしてもらう」ということや「最後まで読んでもらう」ということが大きなハードルになっています。

 

Youtubeをスマホで見ながら記事を読むことはできないし、料理をしながら記事を読むことはできない。

 

文字情報は、この時代のコンテンツ市場のなかで、なかなか不利なポジションに成り下がってしまったのではないかという気もしています。

 

では、伝え広めることがミッションであるテキスト中心のメディアに求められることは何なのでしょうか。

 

おそらくですが、既存のテキストメディアが「ここまで」と線を設けていた垣根を飛び越えて、様々なモノやコトの区切りを更新し続ける姿勢に解があるような気がしています。

 

それはリアルなコミュニティかもしれないし、音声かもしれないし、イベントかもしれない。

 

以前メディアは人を拡張させるもの全てを指すという記事を書きましたが、今の時代にメディアが「読んでもらう」ためには、それらの拡張媒体を総動員して知の断絶をつなぎ合わせていくことが、一つのミッションなのではないか... そんなことを考えています。

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