やさしいひとへ

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毎日のように泣いていたあのころ、それでも強いフリを保てたのは、無責任にただ信じてくれた人がいたからだった。

***

数日前、私が大学生のときに所属していた新聞部の顧問の先生から連絡があった。

かれこれ5年ぶりくらいだろうか。

当時の私は、バイトのかけもちをしたり旅行に行ったりで忙しく、やりたい取材だけやって書けるだけ書いたらあとは他の人に全部収拾してもらうような迷惑な部員だった。

いわゆる毎日部室に顔を出すような真面目な側の人間ではなかった。

けれど、その先生はなぜだが私の文章をよく面白がって誉めてくれて、かわいがってくれた。

いま思えば、わたしたちが作っていた新聞は、学生が作る新聞にしては気合が入ったものだったと思う。

一般紙と同様12面あり、独自ネタを探して地域や大学が抱える問題に斬り込むような意味でも、なかなか本格的なジャーナリズム紙だった。

いつも締め切りの数日前になると部室にこもり、深夜過ぎまで紙面組や校正をして、先生に吉野家のデリバリーをねだり、部員でかっ食らった。

先生は元大手新聞社の記者で、刑事事件を中心に追っていたそうだ。

ヤクザを追いかけて襲われそうになったこと、海外で事件の取材をしていたら殺されかけたこと、先生の話はいつもスリリングでファンキーだった。

「正直いやーさぁ、最初ここに誘われたときはよ、大学新聞の顧問なんてって思ってたけど、俺は今の仕事に満足してるよ」

嬉しそうにそう言った姿を、今でも忘れない。

***

先生の前では、いつだって面白いやつでいたかった。

うまくいかない毎日が続いたときも、いつもの顔をして軽口をたたいた。

けれど、全部見透かされていることも気づいていた。

ーあれから5年。

まだ何者にもなれていない、中途半端な自分の状況はかくしておきたかったけれど、強いふりができる若さも、いまはもうない。

卒業後の仕事や今の生活について一気に書いて、読み返さずに送信ボタンをおした。

先生からは、連絡をもらえて嬉しいという言葉と一緒に、このような文章が送られてきた。

「貴女らしいというか。貴女のことだからそこでも元気におやりになっていると思い、全く心配していません。」

それを見た瞬間に、自分でもびっくりするほどの涙が出てきて、視界が歪んだ。

それは、すこしばかり弱っていた私が、ひさしぶりに思い出した感覚だった。

あのころも、いまも、つよい私でいさせてくれたのは、励ましや慰めの言葉じゃない。

どんな私でも、ひだすら無責任に信じてくれる人たちだ。

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