いま、メディアの作り手が心にとめておくべきこと

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言葉を軸にした活動を行うことを決めてから、メディアが果たすべき役割とは何かと考える時間が多くなりました。

 

「インターネットの時代」 とは言いつくされた言葉ですが、新聞やテレビ・ラジオがマスメディアとよばれる時代から、メディアという言葉のなかにはWeb上に存在する個別のそれ、という意味合いが多分に含まれる時代へと変化した以上、インターネットを前提としたメディアのあり方について考えることは避けて通れません。

 

数年前からのコンテンツマーケティングブーム以後、ブラウザ上の検索結果にはキュレーションメディアやまとめサイトがあふれるようになりました。

 

その後、WELQ問題を発端としてWebメディアをめぐる議論が行われ、該当するWebメディアの運営実態が明るみになると、世間一般的にはWebコンテンツに対する懐疑的な見方も強まりました。

 

付け足しておくと、わたしはWELQを中心とした一連の騒動についてはどちらかというと当事者側だったので、運営側の想いも事情もわかります。
ただし、だからといって許されるべき行為でなかったことは、ここで言及するまでもないでしょう。

 

WELQ問題以後に、グーグルのアルゴリズムが大幅に変更されたことを考えても、Webメディアをめぐる問題はインターネットそのものの存在が問われるほど市場に与えたインパクト大きかったのだと思います。

 

あれから2年が経ちました。

 

残念ながらインターネットがあのときの状況から何か変わったかというと、さほど変わっていないような気もしていますが、多くの人はすでにインターネットそれ自体が幻想であることにも気づき始めているようにも思います。

 

いま、ふたたび新しいメディアのありかたを考えるときにきているのではないでしょうか。

 

「メディアとはメッセージである」と言ったカナダの英文学者マクルーハンは、「新しいテクノロジーやメディアの登場は人間の感覚を変化させ、社会を変化させる」とも説き、その思想を「メディアとは人間の拡張である」という言葉にまとめました。

 

この言葉が50年以上も前の時代に発せられたものだと思うと、マクルーハンの本質を見抜き言語化する能力に感服しますが、現代のメディアの在り方を考える際もなおこの視点を見逃すわけにはいかないと、私は思います。

 

メディアを作る人間は、メディアというものが現実世界までも変化させる力を内包するという自覚をもちつつ、時代や立ち位置によって変化するその影響力を過不足なく認識し続けることが必要になるのではないでしょうか。

 

最後に、マクルーハンのこの言葉を引用して、この短い論考を終わりたいと思います。

 

われわれはその中枢神経組織自体を地球規模で拡張してしまっていて、わが地球にかんするかぎり、空間も時間もなくなってしまった。

-「メディア論(1964)」はしがき より-

 

(まるでインターネットの登場を予見していたかのような言葉・・・!この一節を見たとき、思わずため息がこぼれました。本質をついた言葉というのは時代を超えても生き続けるのだと思います。)

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